遅咲きの実力派漫才師!ヤーレンズの魅力に迫る

2/26/2025
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お笑いコンビ・ヤーレンズは、結成12年目にして『M-1グランプリ2023』で準優勝に輝き、一躍お笑いファンの注目を集めました。独特の“脱力系”漫才スタイルで強烈なインパクトを残した彼らは、長年の下積みと試行錯誤を経て遅咲きの花を咲かせた実力派です。今回はヤーレンズの経歴やネタの特徴、コンビの関係性、お笑い界での評価、そして今後の展望まで、その魅力をコラム形式で徹底解説します。

Notion Image (File via Proxy)

結成の経緯と歩み

ヤーレンズは楢原真樹(ならはらまさき)出井隼之介(でいじゅんのすけ)からなる漫才コンビです。2011年9月にコンビ結成し、最初の舞台は同年8月末でした。実は結成当初、2人は吉本興業の大阪所属で活動しており、NSC大阪校出身の先輩後輩コンビという間柄でした(楢原が28期生、出井が29期生)。同学年ながらNSC入学時期が1年違いで、楢原が先輩・出井が後輩という関係です。

コンビ結成のきっかけは意外な場にありました。もともと別々のコンビで活動していた2人は、それぞれ前のコンビを解散した直後にサザンオールスターズ好きが集まるカラオケ会で出会い意気投合します。音楽の趣味が縁となり「じゃあ一緒にやってみようか」という流れで組まれたのがヤーレンズでした。当初コンビ名は「ヒートアップ」でしたが、「さすがにダサすぎる」と周囲に評されたため数ヶ月で改名。大好きなサザンの曲名にちなみ「パープーズ」(曲「我らパープー仲間」から)と改名し、さらに上京後に現在の「ヤーレンズ」へと改名しています。ヤーレンズの名もサザンの楽曲「YARLENSHUFFLE~子羊達へのレクイエム」に由来し、音楽好きを感じさせるネーミングです。

結成当初は大阪の劇場で活動していましたが、関西の笑いの本場で自分たちのスタイルが“浮いている”ことを痛感します。勢いと押しの強い関西漫才の中で、あえて標準語で淡々と漫才をする彼らは観客には物珍しさもあってそれなりにウケつつも、劇場では明らかに異質な存在でした。そこで楢原が「東京で勝負しよう」と提案し、2014年にコンビで思い切って上京することを決断します。上京に合わせて吉本興業も円満に退所し、新天地での事務所探しを開始しました。

新しい所属先として選んだのは、現在のケイダッシュステージです。選んだ理由もユニークで、上京前に大阪で行われた賞レース予選で東京の若手芸人を偵察していた際、女子高生相手に滑り倒していたのに妙に面白いコンビ・トム・ブラウンに出会ったことでした。その強烈な印象が忘れられず、「彼らがいる事務所に入ろう」とケイダッシュステージに所属を決めたと言います。2014年8月よりケイダッシュの一員となり、本格的に東京で活動をスタートしました。

上京後は主戦場を東京の小劇場ライブに移し、地道に漫才を磨いていきます。売れない時期も長く、客席がゼロの舞台に立たされた経験すらあったそうですが、それでも腐らずに舞台を重ね“笑い”の研鑽を積んできました。結成13年目(2024年)にして初めて地上波テレビの冠番組を持つまでになった背景には、そうした長年の下積み努力があったのです。

メンバーそれぞれのプロフィールにも触れておきましょう。ボケ担当の楢原は大阪府池田市出身で、1986年生まれの38歳(2024年現在)。身長179cmの細身で、おっとりした風貌が特徴です。実は大学受験に失敗した際に母親からNSC受験を勧められたのが芸人になったきっかけという異色の経歴の持ち主でもあります。趣味はサザンの音楽鑑賞やゲームなど多彩で、自作ネタではそうした一面もギャグに織り交ぜることがあります。

一方、ツッコミ担当の出井は神奈川県横浜市生まれ兵庫県神戸市育ちの37歳。中学から関西で過ごしたとはいえ元々は関東出身で、楢原とは対照的にシュッとした関東風の雰囲気を持ちます。高校卒業後に大学へ進学するも中退し芸人の道へ進みました。2024年5月には一般女性との結婚を発表しており、公私ともに転機の年となりました。身長173cmと楢原より小柄ながら、しっかり者のツッコミで奔放な楢原を支える縁の下の力持ちです。

ネタの特徴と笑いのスタイル

ヤーレンズの漫才は、一言で言えば「脱力系のしゃべくり漫才」です。派手な動きや大声で畳みかけるタイプではなく、肩の力が抜けたようなゆるい空気感を漂わせながら、独自のテンポで笑いを紡ぎ出します。実は大阪で活動し始めた頃から、あえて関西弁を封印して標準語で漫才をするというスタイルを取っていました。関西芸人らしからぬ引いた芸風で「逆張り」の勝負をしてみたかったという狙いもあれば、2人とも喉が弱く声を張り上げられないために自然と合致した面もあったといいます。その結果生まれたのが、力みのない緩い口調でボケとツッコミを展開するヤーレンズ流漫才でした。「ユルい」「脱力系」と称される所以でもあります。

漫才の構成としては、まず舞台に登場してからしばらく他愛ない雑談を繰り広げ、本題のネタに入っていくという独特の形をとります。ネタ作り担当の楢原が適当でゆるいボケをポンポン繰り出し、出井がそれをさらりと受け流しながら的確にツッコむ――まるで劇場で客前トークをしているかのような自然体のやり取りが魅力です。オチ直前に「では聞いてください…」といった体で短い漫才(ショートネタ)を挟んで締めるのもお決まりのパターンで、漫才そのものより前フリ会話の方が長いこともしばしばです。この長すぎる漫才前の雑談は同業芸人から「尺オーバー寸前じゃないか!」とイジられることもあるほどで、ヤーレンズの愛すべき特徴となっています。

結成から数年は明確な設定を設けないフリートーク調の漫才が中心でしたが、2019年頃からは「コント漫才」にも積極的に取り組むようになりました。楢原がエキセントリックな店員や医者などのキャラクターに扮し、出井がお客や患者役で振り回されるというシチュエーション漫才です。代表的なネタに「旅館」「自転車屋」「歯医者」「お花屋さん」「焼き鳥屋さん」などがあり、日常の場面を舞台にしつつヤーレンズらしいボケとツッコミの応酬が展開されます。近年の賞レースではこうしたコント要素強めの漫才を披露する一方、劇場ライブでは従来の雑談系漫才も継続して演じており、二刀流のスタイルを使い分けているのも強みです。

ヤーレンズのネタは基本的に楢原が考案しています。楢原は漫才だけでなく一発ギャグも多数持っており、自身のボケ役としてのキャラクター性を磨いてきました。出井はそんな楢原の奇想天外なボケを冷静につさむ役回りですが、時にはボケ側に回ることもあり、柔軟なコンビネーションで笑いを生みます。2人ともお笑い愛好家らしく他の芸人ネタにも詳しいため、漫才中にさらっと他芸人の持ちギャグを織り交ぜる小ネタを入れる遊び心も垣間見えます。手数の多いボケを細かく積み重ねていくスタイルゆえに、「どこか一箇所に爆発的なピークがあるわけじゃないけれどずっとクスクス笑える漫才」と評されることもあります。まさに「ずっとニヤニヤできて、ずっと面白い」と言われるようなノンストップなおしゃべり漫才こそ、ヤーレンズの真骨頂なのです。

なお、ヤーレンズはファン対応に関する独特の笑いも提供しています。2人は自称“オタク文化が分からない芸人”であり、ライブのトークでは「チェキ(写真撮影会)NG」「アクリルスタンドNG」「ファンアートは法的措置も辞さない」などと冗談めかして発言するのがお約束です。もっとも実際にはファン思いのコンビであり、ファンアートについては「描くのは自由だけど、SNSにアップするときはタグ付けしないでね」というユーモア混じりの要望を出すなど、笑いに昇華したファンサービスを行っています。こうした細部にもヤーレンズならではのユーモア精神が光っています。

受賞歴と話題になったエピソード

長年無冠のまま舞台を支えてきたヤーレンズですが、近年は賞レースでの快進撃が続いています。まず大きな功績として挙げられるのが、M-1グランプリへの挑戦です。2015年から毎年欠かさずM-1に出場し続け、2018~2021年は3回戦や準々決勝止まりだったものの、2022年大会で初めて準決勝に進出しました。そして迎えた結成12年目の『M-1グランプリ2023』で悲願の初・決勝進出を果たし、見事準優勝に輝いたのです。決勝戦ではファーストラウンド656点を叩き出し2位通過、最終決戦では同じく初ファイナリストの令和ロマンと一騎打ちとなり、わずか1票差(ヤーレンズ3票:令和ロマン4票)という大接戦の末に惜しくも敗れました。優勝こそ逃したものの、「ノンストップ・ウザ」というキャッチフレーズで臨んだ決勝で終始笑いを取り続けた姿は強烈な印象を残し、一夜にして多くの視聴者に名前が知れ渡ることとなりました。

2023年のM-1で見せた快挙とインパクトは大きく、「ヤーレンズ旋風」とも言える反響を呼びました。事実、準優勝直後からテレビや劇場への出演オファーが急増し、彼らの存在はお笑いファンのみならず一般層にも広まりました。同業者からの評価も上々で、M-1審査員の一人である富澤たけし(サンドウィッチマン)は「何も考えずずっと笑っていられる漫才でいい」とヤーレンズの漫才を絶賛しました。また別の審査員は「ずっと面白いがゆえに後半は笑い疲れを起こすほどだった」とコメントしており、途切れない笑いの波で観客を圧倒した様子が伺えます。12年間無名に近かった彼らが一夜にしてスターダムに駆け上がったドラマチックな展開に、「これぞM-1の醍醐味だ」と多くのお笑いファンが沸き立ちました。

さらにヤーレンズは2024年大会でも2年連続のM-1決勝進出を果たしています。前年準優勝という実績から、「今年こそ優勝候補の一角」と期待する声も高まりました。実際、2024年のM-1では前年王者の令和ロマンに次ぐ“打倒・令和ロマンの本命”として大会前から注目度は抜群で、お笑い評論でも「ラスボス(令和ロマン)を倒せる実力がある」と全組中最大の期待を寄せられていたほどです。結果は決勝戦で5位入賞に留まりましたが、連続ファイナリストという安定した実力を示したことで、その地位を不動のものとしました。「M-1を通じてようやく全国区の評価を得た」という点で、ヤーレンズにとってM-1は大きな転機であり勲章となっています。

M-1以外の賞レースでも、ヤーレンズは着実に実績を積んできました。結成翌年の2012年『THEMANZAI』では認定漫才師50組に選出(当時のコンビ名パープーズ名義)、同年『キングオブコント2012』でも準々決勝に進出しています。その後もしばらく目立ったタイトルはなかったものの、ライブシーンで研鑽を積みつつ、マイナビ主催の「ラフターナイト」チャンピオン大会に2度(2015年・2020年)本戦出場を果たすなど着実に頭角を現しました。そして2024年には、ビートたけしが名を冠したお笑いコンテスト「ビートたけし杯お笑い日本一」で堂々の優勝を勝ち取り、念願のタイトルホルダーとなります。漫才以外のフィールドでも評価されたことで、彼らの芸の幅広さと実力が改めて証明されました。

こうした受賞歴以上にファンの間で語り草となっているエピソードも見逃せません。特に有名なのが、ヤーレンズと令和ロマンの交流エピソードでしょう。実はヤーレンズと令和ロマンはコンビ同士とても仲が良く、2022年のM-1敗者復活戦で意気投合したのを機に「ヤレロマ」と称してツーマンライブを定期開催してきました。毎月のように合同ライブで研鑽を積んだ結果、翌2023年のM-1決勝では2組そろって進出し、ワンツーフィニッシュまで飾ってみせたのです。この奇跡のような展開はお笑いファンを大いに熱狂させ、M-1終了後には両コンビ揃ってトーク番組『ボクらの時代』(フジテレビ)に出演するなど、「友情とライバル関係」の美談としてメディアでも取り上げられました。ヤーレンズ自身も令和ロマンとは戦友であり大切な仲間と語っており、優勝は譲ったものの「令和ロマンが成し遂げた連覇を今度は自分たちが止める番」と闘志を燃やしています。事実、2024年のM-1でもヤーレンズは令和ロマン直後の出番で直接対決の様相を呈し、観客から「今年こそヤーレンズがラスボスを倒すか」と固唾を飲まれる展開となりました。結果的に雪辱は持ち越しとなりましたが、この2組の物語は令和のお笑い界の名勝負列伝として語り継がれることでしょう。

他にも、ヤーレンズが話題になったエピソードとしては「公式写真の劇的イメチェン」があります。2024年に入ってから所属事務所の宣材写真が一新され、スーツ姿でキメていた従来の真面目な雰囲気から一転、ポップでコミカルなポーズを取った写真に変わりました。これがファンの間で「可愛い!」「今のキャラに合ってる」と好評を博し、SNS上でもちょっとしたニュースになりました。漫才同様に見た目から笑いを取りに行くサービス精神はさすがです。また、前述の出井の結婚もファンに祝福される明るいニュースとなりました。M-1準優勝直後のタイミングでのゴールインに「売れ始めてから結婚とは男前」「公私ともに充実していて何より」と温かい声が寄せられ、ヤーレンズ躍進の年を象徴するエピソードとなりました。

コンビの関係性と舞台裏エピソード

ヤーレンズのコンビ仲は、現在では非常に良好で息もぴったりですが、実はそこに至るまでには紆余曲折がありました。結成当初~大阪時代の2人の関係性は、本人たちいわく「お互い芸人を辞めないためにとりあえず組んだだけ」という割り切ったものだったそうです。当時はプライベートで積極的に交流することも少なく、必要以上に会話を交わすこともなかったとか。先輩後輩の関係もあって遠慮があったのか、漫才のネタ合わせ以外ではあまり踏み込んだ話をしないドライな間柄だったようです。

転機が訪れたのは2020年頃、新型コロナ禍による活動休止期間でした。ライブが軒並み中止となり時間を持て余した2人は、「とりあえず会ってみるか」と近所の公園で顔を合わせる機会を作りました。最初は手持ち無沙汰だったものの、話すことがないならとお互いの幼少期の話やプライベートな話題をひたすら語り合ったといいます。実はそれまで結成から約10年近く経っていながら、深い身の上話をしたことがなかった2人。「地元に友達がいなくて…」などといった初耳のエピソードに「なんでそんな友達おらんの?(笑)」とツッコんだりと、まるで親友同士が打ち明け話をするような濃密な時間を過ごしました。さらには「実はあの時の発言はどういう意味や?」とこれまで言えなかった不満や疑問もぶつけ合ったとのことで、お互いの価値観や考え方を腹を割って理解し合う絶好の機会となったのです。

このコロナ禍での語り合いを経て、ヤーレンズのコンビ仲は劇的に改善されました。お互いの性格や考えを深く知ったことで信頼感が増し、その後は人が変わったようにプライベートでも仲睦まじいコンビへと変貌します。実際、現在ではラジオ番組の入り時間に1時間も早く2人で集まって雑談に花を咲かせたり、番組収録時にはお互いの写真を撮り合ってSNSにアップしたりと、傍から見ても仲の良さが伝わるエピソードに事欠きません。まさに“相方は親友”と言える関係に発展したのです。出井は「あのコロナ禍の時間は本当に大事だった。ライブがなくなったことが逆によかった」と振り返っており、漫才漬けで走り続けた日々を一旦リセットして腹を割って話せたことが飛躍のきっかけになったと語っています。

また、結成時からのエピソードとしては「楢原が出井を東京に誘った夜」がよく知られています。大阪でくすぶっていた頃、楢原は「このままじゃ埋もれる。東京で勝負しよう」と出井に提案しました。出井も同じ危機感を抱いていたことから反対せず、2人は意を決して上京します。周囲からは「せっかく大阪吉本におるのに辞めるなんてもったいない」と引き留めもあったようですが、「転校生的な扱いでもう一度ゼロから挑戦したかった」と当時を振り返っています。この決断力と行動力はコンビの転機となり、結果的に現在の成功につながりました。互いに腹を割って話せる仲になった今だからこそ「あのとき勇気を出してくれてありがとう」と楢原に感謝していると出井は述べています。苦楽を共に乗り越えた絆が、ヤーレンズの舞台上での抜群のコンビネーションにも表れているのでしょう。

興味深い裏話として、2人とも極度のサザンオールスターズ好きであることが挙げられます。前述の通りコンビ名はサザンの曲由来ですが、楽屋や移動中でもサザンの話題で盛り上がることが多いとか。サザン愛が高じて結成直後にはサザンの名曲をもじった漫才を作ったりもしたそうですが、あまりに内輪受けになりそうだったためボツにしたという笑い話もあります。好きなものが同じという共通点はコンビ仲を深める大きな要因であり、趣味仲間でもある2人の関係性は良好そのものです。出井が2024年に結婚した際も楢原は誰より喜び、式で余興漫才を披露したという心温まるエピソードも伝わっています(余興でもしっかりウケを取ったとか…?)。こうした舞台裏での仲睦まじい様子もまた、ヤーレンズというコンビの魅力と言えるでしょう。

お笑い界での評価と現在の立ち位置

ヤーレンズは長年インディーズライブを中心に活動してきた実力派の遅咲きコンビとして、お笑い界で独自の立ち位置を確立しました。M-1準優勝以降はテレビ番組やラジオへの出演が増え、知名度こそ急上昇しましたが、元々培ってきた芸歴相応のスキルがあるため「満を持して脚光を浴びた」という印象が強いです。他の芸人からも「ヤーレンズはずっと面白かった」「ようやく世に見つかった感じ」と評価されており、業界内での信頼も厚いようです。

特に漫才師としての技術力と安定感には定評があります。前述のようにM-1審査員たちからはその緻密に計算された笑いの連打を高く評価する声が相次ぎました。ベテラン審査員の松本人志は「ずっと面白すぎて笑い疲れた」とユニークな表現で称賛し、立川志らく(※2023年大会は不在だが過去審査員)はラジオで「彼らの漫才は完成度が高い」と太鼓判を押しています(※参考発言)。ツッコミの礼二(中川家)も「心地いいテンポとボケの量でM-1に相応しいネタ」と絶賛しており、プロの目から見てもヤーレンズの漫才はハイレベルだと認められています。

また、お笑い評論の視点ではヤーレンズのスタイルは「令和時代の新機軸」とも評されます。かつては漫才といえば明確なボケ・ツッコミ役割でテンポよく進行するのが主流でしたが、ヤーレンズは雑談風の緩急や独特の間合いで笑いを生む新しい形を提示しました。観客をぐいぐい引っ張るのではなく、じわじわとクスクス笑わせる作風はシニカルさと親しみやすさの両立とも言われ、同業の若手芸人にも影響を与えています。「脱力系漫才」は近年じわじわと人気が高まっているジャンルであり、その代表格としてヤーレンズの名前が挙がることも少なくありません。同じく脱力系の先駆者である東京03やラーメンズ(コンビ名の響きも似ていますが偶然です)に通じるセンスを持ちつつ、あくまで自分たちの色を出した漫才で勝負している点が評価ポイントです。

お笑い界での立ち位置としては、「苦労人の星」的な存在とも言えるでしょう。長年無名だった彼らが諦めずに活動を続け、大舞台で脚光を浴びるに至ったストーリーは、多くの芸人仲間に希望を与えました。実際、同世代・同期の芸人からは「自分たちも頑張ればヤーレンズのように花開けるかもしれない」と刺激を受けたという声も聞かれます。ヤーレンズ自身も売れていない時期が長かったため、現在でもライブシーンを大切にし続けており、若手のライブにも積極的にゲスト出演するなど後進の育成にも一役買っています。「ブレイクが遅かった分、これからは僕らが若手を盛り上げたい」という発言もしており、業界内での信頼感とともに兄貴分的なポジションも築きつつあります。

2024年現在、ヤーレンズはテレビ・ラジオ・ライブと幅広く活躍しています。レギュラーのラジオ番組として「ヤーレンズのオールナイトニッポン0(ZERO)」(ニッポン放送)を担当し、深夜ラジオで持ち前のトーク力を存分に発揮しています。またTBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」では隔週パートナーを務め、先輩芸人のパンサー向井義則からもトークの腕前を買われています。テレビではバラエティ番組への出演こそ不定期ながら、TBS系朝の情報番組「ラヴィット!」に度々出演して爪痕を残すなど、今後のレギュラー獲得が期待されています。さらに初の冠特番として2024年3月にABCテレビで放送された「ヤーレンズの上京したけど戻れぬ故郷」では、同じ境遇の“夢破れた上京者”に焦点を当てた異色のドキュメントバラエティに挑戦し、「リアルで胸に迫る内容」と好評を博しました。こうした活躍から、業界内では「ヤーレンズはネクストブレイク芸人から既に一歩抜きん出た」と評価され、今や中堅人気芸人の仲間入りを果たしつつあります。

今後の展望と期待される活躍

遅咲きで花開いたヤーレンズですが、本人たちは現状に満足することなく更なる高みを目指しています。最大の目標として公言しているのが、やはり「M-1グランプリでの優勝」です。2023年はあと一歩のところで逃しましたが、インタビューなどでも「絶対にM-1を獲りたい」という強い意志を何度も口にしており、リベンジへの闘志は衰えていません。M-1の出場資格があるうちは毎年挑戦し続けると宣言しており、周囲の期待も「次こそヤーレンズが王者に」と高まるばかりです。もし優勝となれば文字通り悲願達成であり、お笑いファンにとっても感動的な瞬間となるでしょう。

また、コンビとしての目標だけでなく、それぞれ個人での活躍の場も広がりつつあります。楢原はネタ作りの才能を活かして脚本や放送作家業への意欲を見せており、自身の経験を綴ったエッセイ本の執筆企画も進行中との噂があります(元相方との本同時発売企画も話題になりました)。出井は持ち前の落ち着いたツッコミ術と常識人キャラを活かし、コメンテーターやMCとしても評価されています。実際、情報番組でのコメント力がプロデューサーの目に留まり、今後はピンでの仕事も増えそうだと報じられています(例:NHK「所さん!事件ですよ」出演)。コンビとしては漫才が軸であることは変わりませんが、こうして個々の才能が開花することで更なる飛躍が期待できます。

ファンが楽しみにしているのは、ヤーレンズの単独ライブツアーでしょう。2024年には結成後初となる全国ツアー「熱い胸さわぎ」(仮題)が開催予定で、地方12都市を巡る公演が発表されています(楢原のSNSより)。地方のファンに直接笑いを届ける機会に、2人も意気込んでいるようです。チケットは発売開始直後に即完売が相次ぎ、追加公演も検討される人気ぶりで、彼らの全国区の人気を裏付けています。単独ライブではテレビでは見せないマニアックな新作漫才やコントを披露するとのことで、「生で見るヤーレンズは格別」と評判です。今後はこうしたライブ活動を通じてさらに実力とファン層を拡大し、地盤を固めていくことでしょう。

お笑い界全体で見ても、ヤーレンズには多大な期待が寄せられています。令和ロマン、ヨネダ2000、真空ジェシカなど同世代の実力派が台頭する中でも、ヤーレンズは一味違う存在感を放っています。業界関係者からは「新たなコント番組を作るならヤーレンズを中心に据えたい」「漫才のフォーマット自体をアップデートしてくれそうだ」といった声も上がっており、次代のお笑いシーンを牽引するコンビとして嘱望されています。実直に漫才道を追求しながらも、常に柔軟な発想で笑いを研ぎ澄ましてきた彼らだけに、テレビでも劇場でもこれからどんな笑いを見せてくれるのか目が離せません。

最後に、ヤーレンズの2人がインタビューで語った言葉を紹介しましょう。「僕らは売れるまでに時間がかかったけど、そのおかげで“笑い続けること”の大事さに気づけた。これからもずっと漫才を続けて、誰よりも長くしゃべり倒したい。」——遅れてきたブレイクを果たした今もなお貪欲に笑いを追求するヤーレンズ。これから先、念願のM-1制覇や新境地での活躍など、明るい未来が彼らを待っているに違いありません。お笑いファンとして、ヤーレンズのさらなる飛躍に期待せずにはいられません。

参考サイト

ヤーレンズ-Wikipedia

ヤーレンズ飛躍のきっかけは「コロナ禍で初めて生まれたコンビ間の会話」(2024年6月14日)-エキサイトニュース

『M‐1』準優勝・ヤーレンズ初冠番組3.22放送決定! 芸人人生じっくり語る一幕も-1ページ目-エンタメ-ニュース|クランクイン!

ヤーレンズ(楢原真樹&出井隼之介)前編──挫折知らずも“続けたもん勝ち”|Bezzy[ベジー]|アーティストをもっと好きになるエンタメメディア

M-1グランプリ2023準優勝のヤーレンズ、コンビ結成秘話と東京で勝負しようと決めた理由「僕らは組み直しのコンビなので、転校生的な扱いだったんです」|オリジナル|インタビューサイト双葉社THECHANGE

ヤーレンズ(楢原真樹&出井隼之介)後編──覚醒した2人が“絶対にM-1を獲りたい”理由|Bezzy[ベジー]|アーティストをもっと好きになるエンタメメディア

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ネタフリ編集部

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