ラーメンズ特集:シュールなコントの魅力と解散の理由

3/1/2025
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イントロダクション:ラーメンズとは何者か?その人気の理由

ラーメンズは、小林賢太郎と片桐仁からなるお笑いコンビです。多摩美術大学在学中の1996年に結成され、以降「アート系」「知的」「演劇的」「不条理」と評される独特のコントで劇場を中心に活動しました。テレビのバラエティには頻繁に出ないスタイルながら、その洗練された笑いは熱狂的な支持を集め、コントファンから“伝説”とも称えられる存在です。ラーメンズのコントは一見シュールで難解に感じられることもありますが、巧みな言葉遊びや計算された演出で観客を引き込み、「こんな世界があったのか!」という新鮮な驚きと笑いを提供してきました。その唯一無二の世界観こそがラーメンズの人気の理由であり、20年以上経った今も色褪せない魅力となっています。

Notion Image (File via Proxy)


コンビの結成と活動の歴史

ラーメンズの始まりは大学時代です。美大で出会った小林賢太郎と片桐仁は、在学中の1996年にコンビを結成しました。初期は片桐がボケ、小林がツッコミの漫才スタイルで下ネタや差別ネタも交えましたが、ライブでウケずコンビ仲が悪くなる時期もあったといいます。転機は1997年末、同じく若手だったバナナマンとの出会いでした。バナナマンの意表を突く笑いと演技に刺激を受け、ラーメンズは「もう少しこのスタイルで頑張ってみよう」と方向転換を図ります。漫才からコントへと軸足を移し、在学中には落語研究会を自ら復活させて“オチケン”という場で新しい笑いを模索しました。

その後、シュールなコントに手応えを掴んだ二人は、卒業後に本格的に劇場ライブに打ち込みます。1998年6月、初の単独公演「箱式」を開催し、全編新作コントに挑戦しました。当初はブラックな笑いも試みましたが観客の反応はシビアで、次第に作風を洗練させていきます。1999年、NHK「爆笑オンエアバトル」への出場が大きなブレイクのきっかけとなりました。看板ネタ「日本語学校 アメリカン」などを武器に、オンエアバトルでは7週中6週勝ち抜く快進撃を見せ、テレビ露出が一気に増加します。その結果、他事務所のライブや大学の学園祭にも引っ張りだこになり、ラーメンズの名は広く知られるようになりました。2000年代前半は年数回ペースで精力的に本公演を行い、回を重ねるごとに動員も増加。結成10年目となる2006年前後には全国ツアーを開催し、第15回公演「ALICE」では11都市・63ステージのチケットが即完売するほどの人気ぶりでした。テレビ出演が少なくともライブで確固たる地位を築いたラーメンズは、その後もコンスタントに新作舞台を発表し、お笑いファンから絶大な支持を得ていきます。


代表的なコント作品(ラーメンズの名作)

ラーメンズは数多くの名作コントを生み出してきましたが、ここでは特に人気の高い代表作を紹介します。

  • 日本語学校
  • バニーボーイ
  • ※この他にも、「読書対決」「名は体を表す」「採集」「不思議の国のニポン」など枚挙にいとまがないほど多彩な名作コントがあります。ラーメンズのコント作品はどれも一筋縄ではいかないアイデアに満ちており、ファンそれぞれに「一番好きなネタ」が存在すると言っても過言ではありません。


    スタイルと特徴:シュールな世界観と言葉遊び、演劇的コント

    ラーメンズの芸風は一言で言えばスタイリッシュで独創的。しばしば「シュール(不条理)」「知的」「演劇的」などの言葉で形容されます。典型的なボケとツッコミの応酬による笑いではなく、意味があるようで実はナンセンスな会話や、緻密に設計された笑いの構造で勝負するのが特徴です。関西のお笑いのような派手なノリやスピード感はあえて排しつつ、その本質は「意味のないバカバカしさ」だと評されています。難解そうに見えて実は誰もがクスッとできる絶妙なバランスで構成されており、観る者に知的センスを要求しつつも置いてきぼりにしない「優しい笑い」を生み出しているとも言われます。

    ラーメンズのコントは演劇とお笑いの中間に位置するともしばしば評価されます。実際、舞台上のセットは極力ミニマルで、小道具も必要最低限。「何もない舞台だからこそできる」表現にこだわり、椅子二つだけの空間に複数の登場人物を登場させるような場面転換を二人だけで演じきってしまいます。小林と片桐は共に演技力に定評があり、声色や所作を使い分けて空気ごと演じ分けることで観客に情景を想像させる手法は、まるで落語にも通じる「言葉の魔法」です。例えばコント「レストランそれぞれ」では二人で男女二組と店員を演じ分けますが、衣装替えも舞台転換もなくスムーズに物語が進行し、観客は頭の中でシーンを補完して笑ってしまうのです。このように演劇的手法を取り入れたコントスタイルゆえ、ラーメンズのコント台本はそのまま戯曲として出版もされています。小林賢太郎自身が手掛けた脚本集「小林賢太郎戯曲集」は、コントの台本でありながら純文学や演劇作品としても鑑賞に耐える完成度だと評判です。

    また、言葉遊びの巧みさもラーメンズの代名詞です。先述の「日本語学校」シリーズに代表されるように、同音異義語を用いたボケや、意味の通じないフレーズをあえて重ねることで生まれる笑いなど、「言葉のマジック」を駆使したネタが多くあります。ラッパーのKREVAはラーメンズの台詞回しを高く評価し、自身の楽曲のCMに二人を起用したこともありました。彼は「計算していないように見せかけて実は計算している部分」と「本当にアドリブなのに計算されたかのように振る舞う部分」が同居するラーメンズのコント構成に刺激を受けたと語っています。このコメントからも、ラーメンズの笑いがいかに緻密で技巧的かつ、それを感じさせない自然さを持ち合わせているかが窺えるでしょう。

    さらに、小林賢太郎と片桐仁という二人の個性のコントラストもスタイルの重要な要素です。ネタ作りや演出はすべて小林賢太郎が担当し、衣装やフライヤー(公演チラシ)のデザインまで初期には小林が手掛けていました。片桐は「小林はラーメンズのプロデューサー的存在」と語るほどで、小林の頭の中で組み上げられた世界を、片桐が舞台上で表現するという構図が確立されています。一方の片桐仁は唯一無二のキャラクターで、長髪を振り乱し奇妙な声色や変顔で笑いを生み出す瞬発力に長けています。小林が「ラーメンズの看板」と称えるその強烈な存在感は、コント内で数々のキャラクターを生み出し、観客の記憶に焼き付いています。このように、小林の構築する世界と片桐の解き放つエネルギーが融合することで、ラーメンズならではのスタイルが完成しているのです。


    影響と評価:お笑い業界での評価と後世への影響

    ラーメンズはその独自のスタイルから、お笑い業界内外で高い評価を受けてきました。演劇的でスタイリッシュなコントは「分類が難しい」と評されつつも、1980年代から活躍するシティボーイズや一人芝居のイッセー尾形へのリスペクトを公言しており、そうした先駆者たちの影響を感じさせる面もあります。一方で「関西芸人のような典型的ボケ・ツッコミの形式は感じないが、決してアンチではなく本質は“意味のないバカバカしさ”にある」と指摘されており、純粋なナンセンス喜劇としての完成度が評価されています。また落語家の立川談志は、2000年のオンエアバトルチャンピオン大会でラーメンズに審査員特別賞を与え、「彼らは芸術に一番近い芸人だ」と絶賛しました。言葉遊びの妙をちりばめたコントは“見事な言葉遊びの連続”と評されることもあり、お笑いファンのみならずクリエイター層からも知的エンターテインメントとして高い評価を得ています。

    その影響力は後続の世代にも及んでいます。ラーメンズの映像に学生時代に衝撃を受けたと語る若手芸人は多く、たとえばお笑いコンビロングコートダディの堂前透や、コントグループダウ90000の蓮見翔は「ラーメンズの作品に影響を受けてコントを始めた」と公言しています。また、男性ブランコの浦井・平井も大学生の頃にラーメンズの舞台「TOWER」を観劇し、生で目にした舞台構成に感銘を受けて自身のライブ演出に取り入れようとしたと語っています。このように、現在活躍するコント師たちにとってラーメンズは一種の教科書であり、憧れの存在なのです。お笑い界だけでなく、音楽やアートの世界にもファンを公言する人は多く、先述のKREVAしかり、ゴールデンボンバーのボーカル鬼龍院翔は「自分は小林賢太郎から影響を受けすぎている」と語り、人気声優の梶裕貴も「自分が理想とする表現の究極の形の一つ」とラーメンズを評しています。ラーメンズの芸術性とコメディセンスは、ジャンルを超えてクリエイターたちにインスピレーションを与え続けているのです。

    また、ラーメンズはCMや映像作品を通じて一般層にも強い印象を残しました。中でも有名なのが、2006年から放映されたApple JapanのテレビCM「Get a Mac」シリーズです。この世界共通企画の日本版で、小林賢太郎がMac役、片桐仁がPC役を演じ分けたコミカルな掛け合いは、製品CMでありながらラーメンズの持ち味が活きた小品コントのようで、「あのCMの二人は誰?」と話題になりました。スタジオジブリ映画『もののけ姫』DVD発売CMで映画館スタッフに扮したり、ミュージシャンのPV出演や企業広告などにも起用されたりと、その活動は舞台以外にも広がりました。こうした映像媒体での露出により、従来の劇場ファン以外にもラーメンズの名を知らしめる結果となり、「コント職人」としてのお二人の才能は幅広い層に認知されることとなりました。

    総じて、ラーメンズは観客と業界双方から高い評価を受け、お笑いの新たな地平を切り開いた存在と言えます。演劇性の高いコントというニッチな分野でありながら、その笑いは国民的人気を博し、今なお多くの芸人やクリエイターに影響を与え続けています。


    ラーメンズ解散の理由とその後の活動

    長年第一線で活躍してきたラーメンズですが、2020年に大きな節目を迎えました。厳密には「解散」という表現は使われていませんが、2020年12月、小林賢太郎が芸能界からの引退を発表し、事実上ラーメンズとしての活動に終止符が打たれました。小林は引退理由の一つに「数年前から足を悪くしており、パフォーマンスに支障が出てきたこと」を挙げています。実際、4~5年前から自身の今後について考え始めていたそうで、50歳を前に表舞台から退く決断を下しました。小林は「肩書から“パフォーマー”を外しただけ」と語り、今後は執筆活動など裏方として創作は続けていく意向です。引退後すぐに有料連載の文章プロジェクト「小林賢太郎のノート」を開始し、以降も演出や脚本などクリエイターとしての活動をひっそりと続けています。

    一方、片桐仁は俳優・アーティストとしての道を邁進しています。実はラーメンズの公演が不定期になり始めた2000年代後半以降、片桐は単独での俳優業やお笑いユニット「エレ片」(エレキコミック+片桐によるユニット)での活動が中心となっていました。テレビドラマや映画への出演、声優やナレーション挑戦、さらには自身の特技である粘土造形を活かしたアート作品の発表など、多彩な才能を発揮しています。ラーメンズ活動終了後も片桐は「俳優・彫刻家」として精力的に活動を続けており、2023年には連続テレビドラマや舞台出演、個展開催など、その活躍の場をさらに広げています。小林の引退について片桐は公式コメントで「相方の決断に感謝しかありません」と綴っており、解散劇にありがちなトラブルとは無縁の円満な区切りであったことがうかがえます。

    振り返れば、ラーメンズは2009年の第17回公演「TOWER」以降、長らくコンビとして新作公演を行っていませんでした。ファンの間では「実質的に活動休止状態」と受け止められつつも、正式に解散を宣言していなかったためわずかな復活の期待も残っていました。実際、2016年にはNHK BSプレミアムの特番『小林賢太郎テレビ8』で約7年ぶりに二人の共演が実現し、その直後に小林が演出したコント公演「カジャラ」に片桐がゲスト出演して舞台上での共演も果たしました。この動きにファンは沸き、片桐も当時「ラーメンズは解散していない。機会があればまたライブをやりたい」と意欲を見せていたのです。しかし小林の側は創作活動のスタンスやコンビへの考え方が異なり、テレビで頻繁に活動する“普通のお笑いコンビ”とは違う道を志向していました。結果的にその4年後、小林が表舞台から退いたことでラーメンズとしての新作を見ることは叶わなくなりましたが、ファンからは惜しむ声とともに長年楽しませてくれた二人への感謝や労いの言葉が多数寄せられました。オギャはぎやエレキコミックなど交流のあった芸人仲間もラジオで思い出を語り、鬼龍院翔や梶裕貴など異業種のファンもSNSで引退を惜しむコメントを発信するなど、その影響力の大きさを改めて示す形となりました。


    ファンにとってのラーメンズ:なぜ今も愛され続けるのか?

    ラーメンズは活動終了後も根強い人気を保っています。ファンにとってラーメンズのコントは色褪せない宝物であり、その魅力は時代を超えて通用するものです。小林賢太郎が作り上げた笑いの世界は時事ネタや流行に頼らないため古びることがなく、初見でも新鮮に楽しめる普遍性があります。実際、「日本語学校」のように20年以上前のネタが現在もSNS上で話題になったり、若い世代がおもしろ動画としてシェアしたりする姿が見られます。「千葉・滋賀・佐賀」といったフレーズはネットミーム化し、ラーメンズを知らない人でも耳にしたことがあるほどです。こうした時代を超えた面白さこそ、ラーメンズが今も愛され続ける最大の要因でしょう。

    さらに、近年はラーメンズの過去の映像資産が公式に配信されるようになり、新たなファン層を獲得しています。2020年には小林賢太郎が自身のYouTubeチャンネル「STAFF KOBAYASHI」を開設し、過去公演のコント映像を次々と無料公開しました。これにより、劇場に足を運べなかった世代や当時生まれていなかった若い視聴者でも気軽にラーメンズのコントを楽しめるようになりました。公式YouTube上には100本近いコント動画が公開されており、コメント欄には「初めて見たけど最高に面白い!」「ずっとファンです、公開ありがとう」といった声があふれています。コロナ禍で外出自粛中だった時期には「ラーメンズのコントに救われた」と語る人も多く、笑いの力で人々を元気づけた側面もあります。

    ファンにとってラーメンズは単なる過去のコンビではなく、今も生き続ける伝説です。DVDや書籍で繰り返し鑑賞したり、台詞を暗記して友人同士で真似したりと、その楽しみ方は様々です。毎年のように開催されるお笑い芸人のコント公演ランキングや名作投票では必ず名前が挙がり、ラーメンズの影響を公言する若手芸人が後を絶ちません。片桐仁は現在もバラエティ番組等でラーメンズ時代の話題に触れられることがあり、その度にスタジオが盛り上がるのはファンとして嬉しい瞬間です。また、小林賢太郎も裏方に徹した今なお、その創作物や文章からはラーメンズ的なエッセンスを感じ取ることができ、「やはり賢太郎さんは今でもラーメンズなんだなあ」と感じるファンもいるほどです。

    このように、ラーメンズはファンの心の中で生き続ける存在であり、「また二人でコントを…」という願いは叶わずとも、その遺した作品群はこれからも新しい笑いを届け続けてくれるでしょう。そして、ラーメンズの精神は彼らに影響を受けた次世代のクリエイター達に引き継がれ、新たな形で花開いていくに違いありません。ラーメンズが巻き起こした笑いのムーブメントは終わることなく、これからもお笑いファンの心を掴み続けることでしょう。


    まとめと今後の展望

    シュールで知的、演劇的でナンセンス――ラーメンズは他に類を見ないスタイルで日本のお笑い史に確かな足跡を残しました。結成から解散(活動終了)までの約24年間で生み出されたコントの数々は、今なお「名作」として語り継がれています。二人が築いた唯一無二の世界観は、後進の芸人たちやクリエイターに多大な影響を与え、「ラーメンズ以前・以後」でお笑いの潮流が変わったとも言われるほどです。

    小林賢太郎と片桐仁の今後の歩みは別々のものとなりましたが、その根底に流れる「ラーメンズ魂」は色褪せません。小林は創作の場を裏方に移し、新たな舞台作品の脚本・演出やエッセイ執筆などで才能を発揮し続けるでしょう。2021年には東京オリンピック開会式のショーディレクターに就任し話題になったように(最終的に辞任となりましたが)、彼のクリエイターとしての手腕は今後も様々な形で世に現れるはずです。片桐は俳優・芸術家としてさらに活躍の幅を広げ、ドラマや映画で唯一無二の存在感を放ちつつ、アートの分野でも個展や作品集で評価を高めています。今後もお茶の間や芸術シーンで片桐の活躍を見るたびに、ファンはラーメンズの面影を感じ取ることでしょう。

    ラーメンズとして新作コントが生まれる可能性はなくなりましたが、その遺産とも言えるコント作品は半永久的に楽しみ続けることができます。映像や書籍が残っているのはファンにとって何よりの財産であり、新しい笑いが次々生まれる現代においても色褪せないどころか輝きを増しているように感じられます。これから先も、折に触れてラーメンズのコントを見返し、「やっぱり最高だな」と笑える——そんな幸せをファンは持ち続けていけるでしょう。そして、ラーメンズの精神は彼らに影響を受けた次世代のクリエイター達に引き継がれ、新たな形で花開いていくに違いありません。ラーメンズが巻き起こした笑いのムーブメントは終わることなく、これからもお笑いファンの心を掴み続けることでしょう。


    参考サイト

  • ラーメンズ - Wikipedia
  • 元ラーメンズ・小林賢太郎が作ってきたもの 古びない独自性
  • ラーメンズをよりよく知りたいあなたへ|あきめも
  • ラーメンズの本公演コントと動画全集〖ネタバレ注意〗|ズきゅ
  • 「日本語学校 アメリカン」公式動画
  • 「バニーボーイ」公式動画
  • YouTubeで見られるラーメンズのコント人気投票結果発表! 1位は巧みな伏線が見事な「採集」!(3/3)
  • 「ラーメンズ」のコントがYoutubeで公式配信!初心者にもおすすめ ...
  • 小林賢太郎 - Wikipedia
  • 片桐仁 - Wikipedia
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