バイきんぐ特集:16年の下積みを経てキングオブコント王者に輝いたコント師の魅力
バイきんぐ特集:16年の下積みを経てキングオブコント王者に輝いたコント師コンビの魅力
お笑いコンビバイきんぐは、長年の下積みを乗り越えてブレイクを果たした実力派です。ツッコミ担当の小峠英二(ことうげ えいじ)とボケ担当の西村瑞樹(にしむら みずき)からなり、2012年の「キングオブコント」優勝を機に一躍全国区の人気者となりました。本記事では、一般のお笑いファンに向けてバイきんぐの魅力を掘り下げます。コンビ結成の秘話や芸風の特徴、人気の理由から今後の展望まで、キーワード「バイきんぐ」「バイきんぐ 小峠」「バイきんぐ ネタ」「バイきんぐ コント」にも触れながら詳しく解説します。
バイきんぐとは?(コンビの概要)
バイきんぐは、小峠英二と西村瑞樹による日本のお笑いコンビです。1996年5月に結成され、現在はソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)に所属しています。結成当初のコンビ名表記はカタカナの「バイキング」でしたが、インターネット検索で食べ放題の「バイキング」(英語でVikingの意味)と混同されないよう、現在の「バイきんぐ」という表記に改められました。コンビ名の名付け親は先輩芸人の藤井ペイジ(お笑いコンビ「飛石連休」)で、2人は「この名前で天下を獲る」と決意してスタートを切りました。
結成からしばらくは無名時代が続きましたが、地道な活動を重ねた末に「キングオブコント2012」で優勝し一躍脚光を浴びます。主にコント(寸劇)を持ち味とするコント師コンビで、日常の一コマを題材にした笑いを得意としています。小峠のキレのあるツッコミと西村のマイペースなボケが織り成すコントは、幅広い世代のお笑いファンから支持を集めています。
現在では、テレビ番組や劇場ライブはもちろん、YouTubeなどでも活躍し、お笑い界に欠かせない存在となりました。以下では、バイきんぐのメンバーや結成秘話、代表ネタ、人気の理由、そして今後の展望について詳しく見ていきましょう。
メンバー紹介(小峠英二と西村瑞樹のプロフィール)
小峠英二(ことうげ えいじ)
1976年6月6日生まれ、福岡県田川郡大任町出身。バイきんぐではツッコミ担当で、主にコントのネタ作りも担っています。舞台では客席から向かって左側に立ち、鋭い口調で相方のボケにツッコミを入れる役どころです。坊主頭に鋭い目つきという外見も相まって、一度見たら忘れない強烈なキャラクター性を持っています。
小峠は幼い頃から人を笑わせることが好きで、小学校2年生の頃には「将来はお笑いをやる」と公言していたほどの生粋の笑い好きです。ダウンタウンの『ごっつええ感じ』や伝説的バラエティ『オレたちひょうきん族』をよく観て育ち、テレビの笑いに親しんできました。そうした下地もあり、独特のセンスと間の取り方で繰り出すツッコミは業界内でも評価が高いです。
2012年のキングオブコント優勝以降は、そのトーク力を活かしてピンでのテレビ出演も急増しました。現在ではバラエティ番組のMCやコメンテーターを務める機会も多く、各局の人気番組に引っ張りだこの状態です。例えば『水曜日のダウンタウン』では独自の目線でコメントし、『アメトーーク!』などでも共演者をいじり倒すなど、「バイきんぐ小峠」としてお茶の間に笑いを届けています。また、かつて披露した「なんて日だ!」という決め台詞は流行語にもなり、今でもリアクション芸やCMで使われるなど彼の代名詞となっています。
西村瑞樹(にしむら みずき)
1977年4月23日生まれ、広島県広島市出身(同県安芸郡府中町育ち)。ボケ担当で、舞台では客席から向かって右側に立ちます。穏やかな口調と飄々とした立ち振る舞いでボケを繰り出し、非常識な言動で小峠を振り回す役柄が定番です。その飄々としたキャラクターから「天然」「不思議ちゃん」と称されることもあります。
西村はお笑い好きの青年で、特にダウンタウンやウッチャンナンチャンら人気芸人が競演していた『夢で逢えたら』という番組が大のお気に入りでした。その影響もあって「自分もあんなコントをやりたい」と芸人の道を志したと言います。コンビ結成当初からマイペースさは健在で、ネタ中ではとぼけた言動で小峠を翻弄し、オチでは観客をクスっと笑わせる独特の空気感を作り出します。
ブレイク後の現在、西村は“キャンプ芸人”としての一面でも注目を集めています。もともとアウトドア・キャンプが趣味で、その知識と飄々としたキャラを活かし、自身の冠番組『西村キャンプ場』がローカル局で放送されヒットしました。さらにYouTubeの『CAMP西村チャンネル』ではキャンプ動画を配信し、同じ趣味を持つファンから支持を得ています。テレビのバラエティ企画でも、何も喋らずマイペースに行動して笑いを生む場面があり、小峠から「お前は番組中ずっと黙ってるだけか!」とツッコまれるエピソードもあるほどです。こうした飾らない人柄が逆に面白いと評判で、「バイきんぐ 西村」として唯一無二のポジションを築いています。
コンビ結成の経緯(出会い・結成のきっかけ、下積み時代の苦労)
バイきんぐの2人が初めて出会ったのは、高校3年生の時に参加した大分県杵築市の自動車教習所の合宿でした。偶然同じ合宿に居合わせたものの、当時はお互い言葉を交わすこともほとんどなかったといいます。しかし約半年後、お笑い養成所NSC大阪校の入学面接会場で再会するという運命的な出来事が起こります。600人以上いた受験者の中で、たまたま同じ10人グループで集団面接を受けることになり、その中にお互いの姿を見つけたのです。小峠は「あまりの偶然に『誰かが組めと言ってるんじゃないか?』と思った」と驚きを語っており、この再会をきっかけに「一緒にコンビを組もう」と意気投合しました。こうして1996年5月、バイきんぐ結成に至ったのです。
結成後は大阪のNSCで17期生として学び始めました。しかし、プロの芸人としてすぐに順風満帆とはいかず、長い下積み時代が待ち受けていました。卒業後しばらく大阪で活動した後、「このままではモチベーションの維持が難しい」と感じて東京に進出。しかし東京でもすぐには芽が出ず、所属した芸能事務所を転々とする日々が続きます。最初に所属した吉本興業を離れ、1999年頃にワタナベエンターテインメントへ移籍するも約1年で契約終了、さらに2000年頃には東京吉本(吉本興業の東京事務所)に在籍するもこれも約1年で終わってしまうなど、行き場を失う時期もありました。
仕事も少なく収入が不安定なため、2人は生計を立てるべく様々なアルバイトに明け暮れます。小峠は害虫駆除のバイトをはじめ16年間で実に16種類もの職を経験したといい、一方の西村もコールセンターのオペレーターなど長年勤めた仕事がありました。 15年もの長い間、売れない芸人としてライブハウスや小劇場で地道にコントを磨き続け、「0歳の子どもが高校生になるくらい食えない期間が続いた」と本人たちも振り返るほどです。あまりの芽の出なさに「このままでは解散か」と思い詰めたこともあったかもしれません。それでも2人は笑いへの情熱を失わず、試行錯誤を重ねました。
苦肉の策として、一時期は所属事務所以外が主催するフリーのお笑いライブにも出演できるよう、コンビ名を変えて活動していたこともあります。事務所に内緒で出るライブでは「バイきんぐ」ではなく「めすどり同好会」というコンビ名を名乗り、小峠は「クロヒョウ」、西村は「バードマン」とそれぞれ芸名まで変えて舞台に立った時期もありました。そこまでして場数を踏み、腕を磨こうと奮闘していたのです。
転機が訪れたのはコンビ結成から13年ほど経った頃でした。長年、小峠がボケで西村がツッコミという体制でやってきましたが、思うような成果が出ない中で「役割を入れ替えてみよう」と大胆な決断をします。2009年前後のことでした。小峠がツッコミ役に回り、西村がボケに転向したところ、これが功を奏します。「早くボケとツッコミを変えていれば良かった」と小峠が後に語るほど、その後のコントは格段に良く回り始めたのです。以降、小峠のキレ味あるツッコミと西村の天然ボケという現在のスタイルが確立され、ライブでも徐々に手応えを掴んでいきました。
ブレイクのきっかけ(「キングオブコント2012」優勝とその影響)
長い下積みを経て、バイきんぐが遂に日の目を見たのが2012年です。結成16年目にして、日本最高峰のコントコンテスト「キングオブコント2012」で初の決勝進出を果たし、そのまま優勝という快挙を成し遂げました。実はその前から、2008年大会と2011年大会で準決勝進出まで駒を進めており、着実に実力をつけていたのです。満を持して挑んだ2012年大会で、彼らは持ち味を存分に発揮しました。
決勝では2本のコントを披露しました。1本目は「卒業生」という学園コントで、卒業式に戻ってきたOB(西村)が非常識な行動を連発し、小峠演じる教師が怒涛のツッコミを入れるというネタです。これが審査員に大ウケし、1本目から当時歴代最高となる967点(1000点満点中)という高得点を叩き出しました。続く2本目では「帰省」というネタを披露します。地元に帰省した息子(西村)が奇妙な言動で親(小峠)を振り回す設定で、こちらも974点とさらに記録を更新。2本合計得点は1941点に達し、これも大会史上最高得点という快挙でした。
特に2本目「帰省」のクライマックスで小峠が思わず叫んだ「なんて日だ!」という一言は強烈なインパクトを残しました。理不尽な状況に対するツッコミとして発したこのフレーズは視聴者の笑いを誘い、放送直後からネット上でも話題に。翌日以降はバラエティ番組やニュース番組でも取り上げられ、子どもから大人まで真似する流行語となりました(※実際の流行語大賞受賞はありませんが、それほど流行したという意味合いです)。
キングオブコント優勝により、バイきんぐの芸人人生は大きく好転します。この優勝をきっかけに、それまで月数本だったテレビ出演が一気に増え、各局のバラエティやラジオ番組に引っ張りだこになりました。まさにブレイクの瞬間です。仕事量が急増したことで収入も安定し、長年苦楽を共にした2人にようやくスポットライトが当たりました。小峠は「やっとテレビでお仕事をいただけるようになった」と当時の嬉しさを語っています。一方で、西村が急にタクシー移動を多用し始めたことに小峠が苦言を呈する(「売れ始めた頃、西村は移動を全部タクシーにしていた」)など、ブレイク直後の微笑ましいエピソードもあります。
優勝後の活躍ぶりは目覚ましく、小峠は2013年頃から多くの番組でリアクション芸人・ひな壇芸人として重宝される存在に。さらにその約10年後の2021年には、自身が優勝した「キングオブコント」の審査員に抜擢されるまでになりました。これは、コント師としての確かな実力と人気を兼ね備えた証と言えるでしょう。一方の西村も、テレビ朝日の冒険バラエティ番組で無人島0円生活を体験したり、趣味のキャンプ企画で他の芸人とコラボするなど、新境地で脚光を浴びています。キングオブコント優勝という大きな転機を得て、バイきんぐはお笑い界で揺るぎない地位を築いたのです。
バイきんぐの芸風・ネタの特徴(コントスタイル、代表的なネタ)
バイきんぐの芸風は一言で言えば「日常コント」です。漫才ではなく主にコントを得意とし、身近にありそうなシチュエーションを舞台に、その中で起こる非常識な展開で笑いを生みます。店員と客、上司と部下、先輩と後輩など、誰もが共感できる日常の人間関係を題材にしつつ、西村が常軌を逸したボケをかまし、小峠が思わず怒鳴りたくなるようなツッコミを入れる——このパターンがバイきんぐのコントの基本構造です。
典型的なのは、西村演じるボケ役が常識外れの行動や発言で場をかき乱し、それに対して小峠が額に青筋を立てながら「なんでだよ!」とキレ気味にツッコむスタイルです。例えば、居酒屋を舞台にしたネタでは西村がおかしな注文や振る舞いを連発し、小峠店員が「お客様、勘弁してくださいよ!」と声を荒らげます。日常の延長線上にある非常識というギリギリの笑いは、多くの視聴者に「こんな奴いるいる!」と共感混じりの笑いを誘います。
もっとも多いパターンは「西村=バカを演じる人、小峠=それを注意する人」という構図で、本人たちもそれを「バカと注意のコンビ」だと表現しています。西村は「いかにも言いそうなことを言うバカ」を演じ、小峠はそれに対して常識人として注意をする役目です。突飛すぎず現実にいそうな絶妙な“バカ”加減と、それに本気で怒る小峠の迫真のやり取りが、バイきんぐのコントをより面白くしています。「特に“ボケにならないバカ”のラインを見つけるのが大変」と小峠が語るように、笑いにするギリギリのリアルさを追求している点が彼らのネタ作りの特徴です。
ネタ作りは主に小峠が担当しており、西村もアイデアを出すことはあるものの採用されることは少ないそうです。小峠が脚本・演出、西村が俳優的に演じるという役割分担がはっきりしているため、練り込まれた完成度の高いコントが生み出されています。また、小峠自身「ウケるネタであれば奇をてらったことはしなくていい」と語っており、奇抜さよりも「誰もが経験する日常」を重視したネタ作りを心掛けています。そのため彼らのコントはシンプルながら笑いの濃度が高く、初見の観客にも伝わりやすい普遍性があります。
代表的なネタとその特徴
バイきんぐはこれまで数多くのコントを生み出してきましたが、その中から特に代表的なものをいくつか紹介します(※ネタバレを避けるため詳細は簡潔に留めます)。
これら以外にも、「コンビニ強盗」「処方箋」「クイズ番組」「有休」「交通量調査」など、多彩なシチュエーションのネタがあります。いずれも日常に潜むおかしさや人間の滑稽さを巧みに切り取っており、初見でも分かりやすい笑いと意外なオチで楽しませてくれます。
芸風の変遷と現在のスタイル
前述の通り、バイきんぐは結成当初こそボケ・ツッコミの役割分担が現在とは逆でした。当時のネタでは小峠が奇天烈なボケを演じ、西村がそれを咎める立場という設定もあり、一部には体当たりかつシュールな芸も含まれていました。たとえば、ジージャンにジーパン姿でキメて一言放つだけのシュールなネタや、SM風の小道具を使ったコント、果ては紙おむつで相方の顔を叩いたり小峠が西村の足の裏を舐めたりといった過激な笑いも披露しており、そうした作風は「汚ねぇ系コント」と呼ばれたこともあります。
しかし試行錯誤の末、現在の小峠ツッコミ・西村ボケの形に落ち着いてからは、過度に下品な方向には振らず一般受けする絶妙なラインの笑いを追求するようになりました。もっとも、今でもライブのネタではテレビではできないような攻めた笑いに挑戦することもありますが、根底にある「リアリティのある笑い」という芯は一貫しています。西村は「昔は地底人の役で亀甲縛りされるようなメチャクチャなこともやっていたけど、今は随分変わった」と述懐しており、現在は等身大のシチュエーションコメディに磨きをかけているようです。小峠も「新しいことを無理にやろうとは思わない。面白いネタができればそれでいい」と語っており、奇をてらわず王道の笑いで勝負する姿勢を貫いています。
こうした地道なスタイルの研鑽と変化もあって、バイきんぐのコントは「ズレない」とも評されます。どんなに非常識なボケでも、小峠という常識人役がいることで世界観が破綻せず、安心して笑えるという意味です。二人は長年一緒にコントを作り上げてきたテンポとリズムがあり、それが他の誰でもない「バイきんぐの笑い」を生み出しているのです。
人気の理由とファンからの評価
長い下積みを経て花開いたバイきんぐですが、現在も幅広い層から支持され続けています。その人気の理由とファンからの評価を紐解いてみましょう。
以上のように、バイきんぐの人気はネタそのものの面白さと、二人のキャラクターや歩んできた物語性が相まって生まれたものと言えるでしょう。テレビの視聴者からライブに通うファンまで、幅広い層に愛される理由がそこにあります。
テレビ・YouTube・舞台などの活動
ブレイク後のバイきんぐは、多彩なフィールドで活躍の場を広げています。テレビやYouTube、そして原点である劇場ライブまで、様々なメディアを通じて笑いを届けている様子を見てみましょう。
影響を受けた人物やコンビ
長年お笑い一筋に歩んできたバイきんぐの二人ですが、その笑いのバックボーンにはどんな影響源があるのでしょうか。彼らが憧れたり刺激を受けたりした人物・コンビについて紹介します。
今後の展望(これからの活動や挑戦)
バイきんぐは今なお精力的に活動を続けています。最後に、そんな彼らの今後の展望について考察します。
まず本人たちのスタンスとして、「これから何をしたいか」という問いに対する答えが興味深いものがあります。小峠はあるインタビューで「お笑い‘で’やりたいことは特にない。お笑い‘が’やれればそれでいい」と語っています。つまり、特定の野望(映画に出たい、音楽活動したい等)があるわけではなく、純粋に芸人として舞台に立ち続け笑いを届けられれば満足だというのです。実際、小学生の頃から掲げていた「お笑いで飯を食う」という人生の目標は既に叶っており、現在の充実ぶりに十分幸せを感じているといいます。
その上で、具体的な今後の活動として考えられるのは以下のようなものです。
最後に、バイきんぐの魅力を総括します。彼らの魅力は何といっても「コント愛」に裏打ちされた確かな笑いと、人間味あふれるコンビ仲の良さです。長年培った職人技のようなコントで確実に笑わせつつ、その背景にある16年の苦労話や運命的な出会いのストーリーが見る者の心を掴みます。今やテレビや舞台に欠かせない存在となったバイきんぐですが、その原点にあるのは「お笑いができればそれでいい」というブレない信念でしょう。これからもきっと、その信念のもとで新たな笑いに挑戦し続けてくれるはずです。バイきんぐの今後の活躍から目が離せません。観る者すべてが思わず「なんて日だ!」と叫びたくなるような最高の笑いを、これからも届けてくれることでしょう。